奨学金についての寄稿

 
眞田 幸俊(さなだ ゆきとし)
1992年三田会 理工学部広報委員長
 
1997年慶應義塾大学理工学研究科博士課程修了(工学博士)。東工大助手,ソニーコンピュータサイエンス研究所アソシエイトリサーチャーを経て,2001年慶應義塾大学講師。現在,慶應義塾大学教授。専門は無線通信工学。
松代真田家14代当主。真田宝物館名誉館長等,松代文化の普及・広報に努める。

1.現在どの様なお仕事をされているのでしょうか?携われている事。
 
 慶應義塾大学理工学部教授(専門は無線通信工学)。現在の研究テーマは第5世代携帯電話の信号処理です。また別の顔として松代真田家当主でもあります。真田信之から数えて十四代目になり,長野市松代宝物館名誉館長を仰せつかっております。松代文化の普及広報に努めています。
 
2.どの様な背景で奨学金を申請する事になったのでしょうか?
 
 5年ほどの闘病生活の末,中学3年生の時に父親が亡くなりました。歴代藩主が受け継いできた文化財は祖父の代に散逸を防ぐため長野市(当時は松代町)に寄贈しました。また他の資産は戦後の財産税の施行によって国に納めましたので,あてにする遺産もありませんでした。祖父,父,母も兄弟がおらず,頼る親戚もおりません。また当時は姉二人とともに私立学校に通っておりましたので,年間の授業料だけでも大変な額になりました。
 
3.奨学金制度を利用して良かったと思う点・どの様に役に立ちましたか?
 
 父が亡くなることを見据えて母が不動産業の資格を取り,事業を起こしました。四十過ぎの主婦が家族を養うにはこれしかないと考えたようです。当時景気が良かったこともあり,私が大学に進学するころには事業も軌道に乗り,実際に生活に困ることはありませんでした。ただ,事業収入は不安定でしたので,奨学金により授業料を賄えたことは,精神的に大変助かりました。そして勉学に集中することができました。
 
4.もし、奨学金制度がなければどうしていましたか?
 
 学業に集中できず,リスクを考えて受験もままならなかったでしょう。兄弟三名とも進学をあきらめていたかもしれません。少なくとも研究者にはなっていないと思います。
 
5.数多くある大学の中で慶應義塾を選ばれた理由をお聞かせ下さい。
 
 放送局のエンジニアだった父の影響で工学部を目指していたところ,指定校推薦により理工学部に進学しました。
 
6.出来ましたら奨学金資金へのご寄付のお願いも一言頂ければ幸いです。
 
 奨学金は経済的な支えであるだけでなく,精神的な支えにもなります。教員として学生に関わっていると,急激な家計の変化で学業が後回しになったり,授業料を払えずに退学になったりするケースも残念ながら見受けられます。才能ある学生が勉学に集中し将来の日本社会に貢献できるよう,ぜひ同窓生の皆様のご理解と奨学金資金のご寄付へのご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。 
 

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